中学校はどこへ行く

中学校の教員となって11年目。
学校の歪な部分に憤りを覚えたり、生徒に救われたり、そんなことを徒然と。
閉鎖的な学校の問題点や頑張りを知ってもらえたらなぁ、とも思っています。

学校とは誰のためにあるのか

先日、「生徒会の活動は縮小していく方向でいきます。先生たちがやりきれていないし、負担も減らしていかなければならないので。」というお達しがありました。
具体的には、生徒会の生徒たちが行事の際に企画してきた部分を無くしていくという意味でした。
私は憤りを感じると同時にずっと不思議に感じていることがあります。
それは「学校とは誰のためにあるのか」ということ。


学校には教育者(教師)、教育を受けるもの(生徒)がいます。
現実には、そこに強い発言力を持つ保護者がいます。
学校とは誰のためにあるんだろう。
教師のためなのかな。
教師にとって学校は労働の現場です。そして、校内の司法、立法、行政は教師が握ります。(本当に少々の違法行為は握りつぶすほどに)教師にとって生徒は、教え、導き、指示を与える対象です。力関係は明らかに教師に傾いています。それでも教師は言います。「もっと楽にやれるようにしていかないと」と。
保護者のためなのかな。
保護者にとって学校は大切な子どもを預ける場所であると同時に、子どもの面倒を見させて教育をさせる場所です。子どもが話さなければ良くわからない場所でもあります。一部の人は、税金を払っているのだから思い通りにさせられる場所と考えています。学校に求めるレベルは家庭によって全く異なるので一概には言えないけれど、教師が最も恐れる存在でもあります。だから、教師は言います。「保護者から苦情が入らないようにやっていくのは当然だ」と。
生徒のためなのかな。
生徒にとって学校は友達に会って、教育を受け、社会体験をする場所です。生徒には生徒の世界があり、人間関係や他者の理解など、多くを学びます。同時に、ルールと規律を叩きこまれる場でもあります。ルールの意味を問うことなく、考えることすら許されずに遵守を義務付けられます。教師にはどう頑張っても勝てず、狭い世界で理不尽さにすら気付かないまま満足するよう求められます。そんな彼らに教師は言います。「先生の言うことを聞け」と。
この3者で割食ってるのは、どう考えても生徒。
でも、学校って生徒のあるべきではないでしょうか。
生徒はお客さんではありません。だから、快適な空間を作ってやる必要はないと思います。でも、成長できる機会は多少無理をしてでも作ってやるべきじゃないでしょうか。ましてや、それを教師が楽をするために減らすなんてどうかしてると思ってしまいます。
皆さんはどう思われますか。